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  • 執筆者の写真森谷

コロナウイルスが流行る中、音楽家として今ある気持ち

更新日:2020年3月9日

連日、新型コロナウイルスの報道が後を絶たないように

我々、音楽業、もしくわイベントやライブで生計を立てているミュージシャンの悲鳴も鳴り止みません。


そんな中、2011年3月11日、東日本大震災の直後を思い出したので、個人的な今の心情を含めて書き残したいと思います。



1.未来には希望しかない

高校生の頃から「ミュージシャンになりたい」と心のどこか奥で思っていた青年。今ほど情報が溢れている訳ではなく、中学生の頃からギターや機材の事のブログを書き続け、名前はあえて伏せますが、少し話題にもなりました。20歳くらいにはアレンジ配信とかしてたので、続けてたらYouTuberとしていい感じだったかも.....ちくしょー!!!












2011年冬、当時、僕は大学2年の20歳。2年制だったので、卒業を目の前にしていました。普通に4年制として大学生活を続けようという話もありましたが、音楽家になろうと決意し、いわゆるフリーターに。同時に某作曲家に弟子入りをしました。当時を振り返ると、ギターとピアノは弾けて、オーケストラみたいな曲がかけたり、クラブ系のJ-Popが好きで曲がちょろっと作れるくらい。今考えると恐ろしい。若者の勢いは武器ですね。根拠のない自信がありました。


そんなやる気に満ち溢れている中、あの3月11日を迎えたのです。



2.現実と理想の狭間












震災後は、今コロナのニュースで取り上げられているのと似た現象として、流通の麻痺がありました。311の当時は本当に麻痺していた。

当時、まだ未熟な僕は小売店でアルバイトをしており、その異常さを体感。民度とかもあるでしょうが、皆さんイライラしていたし、物の買い方もおかしかったです。


せっかく頑張ろう!と決意していたのに、なんだか国内はドンヨリモード。今の自粛の状態に少し似た感覚です。


それはそうだ。東北の家族と連絡がつかない。家が無くなった。仕事が無くなった。それはナイーブにもなるし、鬱になる人もでますわ。

そんな中、「働いては曲を書く、働いては曲を書く」を繰り返していました。その書くという事は、ある意味反骨心と言いますか、ムードや情勢に反発して曲を書いていた思い出があります。でもこの時に作っていた曲がきっかけで、色々な人に出会えるようになるのです。



3.今と当時の違い

その後、作家デビューもし、音楽の仕事をしていく中、このようなオンラインの音楽スクールを立ち上げる事になりました。


このご時世、うちのスクールはオンラインだからか?、連日問い合わせが多いです。それはもちろん嬉しいですが、お話をお聞きすると、全国から色々な個人背景が見えます。


「歌が上手くなりたい!」「息子をDJにしたい!」「歌ってみた動画をアップしたい!」など前向きな事もあれば、後ろめたい話も.....


僕は震災の当時、家で曲を作る事しかできなかった(しなかった?)けど、今は環境も変わりました。


今感じる事は、世の中が足踏みをしてるなら、それを止めちゃいけないと。


このムードに押されて、空回り状態なら、我々がサポートしたいと思います。

音楽に限った話ではなく、家にいたって、今は仕事もできるし、趣味も完結しちゃう。


そんな時代だからこそ、純粋に受講してよかったなと言ってもらえるような、さらなるサービス展開を目指し頑張っていきたいと思います。


スクールでできる事は、生徒さん1人1人の事を考え、レッスンを進めていく事ですが、

私個人としても、他の事業もやっている&これから始める事も含めて、地域や世の中の為を想って活動する事が、大事だなと痛感しております。


なぐり書きの日記になりました。最後まで見てくださった方には感謝です。


また思いつきで書きたいと思います。





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